六甲山は、はげ山だった。

雨が続くと不安になる話は、前々回の記事にしているのですが、 

水害から神戸の街を守る砂防ダム - pochinokotodamaのブログ

今回は続きのような話です。

 

前々回ブログの動画に続きがあって、六甲山の植林について、

話されています。

www.youtube.com

  

動画の中で話されている江戸時代の六甲山の様子は、

神戸市 建設局 防災部/森づくりの歴史/江戸時代の六甲山系

を参照すると、

「武庫連山海陸古覧」は神戸市立中央図書館所蔵で、江戸時代末期から大正初めの画家、若林秀岳によるものである。
秀岳は、1839年天保10年)八部郡二ツ茶屋村(現在の元町6丁目浜側)で生まれ、晩年に本作を描いたといわれている。神戸や兵庫津に密集した家屋や、兵庫の港に集まる多数の商船など、港町として現在の兵庫区を中心とした地域の繁栄した様子を描いた。
本作の山の様子を見ると、摩耶山の天上寺、再度山の大龍寺の社寺林などを除いては、樹木が少ない山だったことがよくわかる。

江戸時代の六甲山系を描いた「武庫連山海陸古覧」(若林秀岳 画)
出典:神戸市立中央図書館資料

と紹介されています。

 

また、はげ山だった再度山の植林の写真は、

神戸市 建設局 防災部/森づくりの歴史/六甲山最初の植林地 再度山

を参照すると、

林学家である本多静六氏に明治36年1903年)より植林事業を委嘱し、以降39年までの3か年で約600haの植林が行われた。この際、砂防樹としてのクロマツなどに加えハゼノキ、クスノキ20種類の樹木が植林され、大都市への発展を見越した風致施業への布石がなされていたと推測されている。

砂防造林がはじまった1902年(明治35年)の再度山

1903年明治36年)当時、植林のために山に入る人々

施工から1年後の再度山

1908年(明治41年)施工から5年後の再度山

1913年(大正2年)施工から10年後の再度山

現在の再度山

 

と、紹介されています。

 

明治期の治山事業について:林野庁 では、

海から見た六甲山(ろっこうさん)のはげ山(明治中期)
海から見た六甲山(ろっこうさん)のはげ山(明治中期)

海から見た六甲山(平成29年)
海から見た六甲山(平成29年)(PDF : 51KB)

と明治時代の六甲山には樹木が少なかったかを写真で比較しています。

 

明治時代の六甲山については植物学者・牧野富太郎の文章が良く紹介されます。

牧野富太郎神戸港から積雪のようにみえたという禿山のエピソードは,明
治14年4月に,彼が第2回内国博覧会に参加するため土佐から神戸に船で着い
た際の彼の印象・・・

「私は瀬戸内海の海上から六甲山の禿山を見てびっくりした。はじめは雪が
積もっているのかと思った。土佐の山に禿山などひとつもないからであった。」

「近代の六甲山はどのようなはげ山だったのか」田中隆文 より引用

 

 

また、再度山の植林については 

六甲山の歴史・文化 | 六甲山ビジターセンター

というサイトでも紹介されていますが、

こちらには、あぁこんな景色があったなぁ、

の古い写真があって、思わず見入ってしまいました。

 

表六甲ドライブウェイではエンジンを冷やす車が目立っている(昭和38年6月)」 

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この道路は有料道路で、昭和42年頃は自転車も通行料10円で通ることができ、

友人と二人で山上から自転車で下りて来た時、途中で友人のブレーキが壊れ、

その時の友人の慌てぶりが滑稽で、いつまでも二人でゲタゲタ笑いながら、

自転車を家まで押して帰った事を思い出します。

 

「再度公園でボートを楽しむ人々」

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乗ったことはありませんが、修法ヶ原池にボートがあった事は覚えています。

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昨年1月2日に撮影した、修法ヶ原池です。現在、ボート遊びは出来ませんが、

ボートハウスはカフェとして営業しています。

 

摩耶山掬星台園地のジェットコースター(昭和30年)」 

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ジェットコースターがあったのですが、乗ったことはありませんでした。

昨年の10月21日、掬星台の東端から大阪方面を見ています。

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六甲山での土砂災害対策の歴史 | 防災リテラシー研究所

「六甲山での土砂災害対策の歴史」のページの写真で、

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写真は、大正末期から昭和初期ころの六甲山でのドライブの様子ですが、急な斜面には木がまったくありません。 

と説明されていますが、1960年頃でも山に入って行く広い地道は、

夏は照り返しがきつく木陰がなかった印象が強いです。

 

ここは、新神戸から布引ハーブ園へのアスファルト道路ですが、

斜面の補強工事が最近終えたばかりです。

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今年の3月17日に撮影しています。 

  

これからも神戸の街は治山をしながら、

六甲山と付き合っていかなければならないのでしょうね。