JR三ノ宮駅から元町駅を通り、神戸駅までの高架下が商店街になっています。
ほとんどの商店街が1階にあるのですが、三宮にだけ高架下の2階にも「さんらく2F 三宮阪急楽天地」という商店街があります。
子どもの時、高架下は怖い所と思っていたので、自分の小遣いで買物が出来るようになるまで馴染みが有りませんでしたから、2階にも商店街があるとは長い間知りませんでした。
阪急の神戸三宮駅の西改札口を出て1階へ下ります。
進行方向左側に2階への階段があります。
ここが「さんらく2F 三宮阪急楽天地」の西側の入口になります。
2階へ上がったという実感が薄い高さの2階に来ました。
突き当たりの左が商店街です。
階段を下りるとセンター街への狭い道に出ます。
昔からこのセンター街への道は狭い割に通る人が多くて、いつも通る度に「何とかならんか。」と思っていましたが、何ともならんかったようです。
「さんらく2F 三宮阪急楽天地」の1階浜側は三宮センイ商店街ですが、今では服飾関係の店が少なくなっています。
「さんらく2F 三宮阪急楽天地」は、阪急の西改札口のレトロ調の構内に合わせたような佇まいです。
奈良・平安の昔から、食事を調理する所を「厨房(ちゅうぼう)」と呼んでいました。この「厨(くりや)」は、「食糧を保管する所、食物を調理する所、台所」を意味します。「厨を司る人」から、料理人は「司厨人(しちゅうにん)」と呼ばれていました。
また、明治、大正、昭和の時代になって、世界各国を結ぶ交通機関として活躍した艦船・商船で、料理を担当する者・給仕をする者(ボーイ)を総称して、「司厨士(しちゅうし)」と呼んだことに由来して、主に「西洋料理」に従事する料理人を、自信と誇りを持って、「司厨士」と呼ぶことにしています。
AJCA -公益社団法人全日本司厨士協会について- より引用
シャッターが閉まっている所が目立ち少し切ない気分になります。
短い距離に段差が設けられており、まるで酔っぱらいの酔い具合を測る危険きわまりないテストコースのようです。
素面の私は躓きもせずに東に向かって歩く事は可能です。
「カレーそば」で有名な「長野屋」です。
以前、前の席の方が「カレーうどん」を注文されていて、出てきたうどんの太さに驚いておられましたが、初見ではかなりのインパクトものです。
店は浜側からの階段を上がってすぐ右にあります。
東に進むと通りを直接に見ることのできない浜側の階段があります。
下りると高架下の南北通路に出ます。
通路の浜側には空港バスの乗場があり、ここから関西空港や大阪空港へ直通で行けます。
配偶者は宮崎へ行く時に利用した事があるそうです。
次の階段は山側にあります。
店の名前の書体に配偶者が興味津々ですが、私の記憶に間違いが無ければ配偶者は文字より絵の方が好きだったと思うのですが・・・。
おいしそうなので私も後ろ髪引かれますが、又の機会にボナペティ。
階段を下りると山側の道に出ます。
日が落ちてくると赤提灯や赤看板が「おいでおいで」をします。
左は2階が「さんらく2F 三宮阪急楽天地」になっているJRの高架、右は阪急の高架に挟まれた飲み屋さんがびっしりの通りです。
酔っぱらうとノスタルジジイになり、曲が頭の中を流れてゆきますが、くどい酔っぱらいは嫌われますよね。自戒を込めて。
階段には飽きてきましたが、これが浜側に出られる最後の階段です。もう少しです、頑張りましょう。
三宮センイ商店街に出ます。
このあたりにあった服飾関係の店も少なくなってしまいました。
昔々、配偶者がこのあたりの店で毛糸を買って私にセーターを編んでくれたのですが、こうと決めると念を入れる性格なので毛糸をキツキツに詰めて編んだので、もの凄く暖かいのですが私には息苦しいセーターになり結局は編んだ本人が着ることになりました。
「さんらく2F 三宮阪急楽天地」への階段口はどれも分かりづらくて、知る人ぞ知る状態です。
いよいよ東の突き当たりの階段を山側へ下ります。
ここが「さんらく2F 三宮阪急楽天地」の東側の入口になります。
入口の上の高架はJR。右の小路は「さんらく2F 三宮阪急楽天地」と平行して阪急の西改札口付近まで飲み屋さんがびっしりの通りです。
入口の向かいの建物の2階には、阪急の神戸三宮駅東改札口やJR三ノ宮駅西口改札があります。
山側を見るとゴチャゴチャした光景に配偶者はカメラを離しません。
赤提灯の右が「さんらく2F 三宮阪急楽天地」の入口です。
このあたりは電線・電話線などが地下化されて電柱がなくなり、当然電柱にあるトランスも姿を消してしまっています。極々わずかの人だけがこの光景にトランスが無いことを無念に思っています。
浜側は「さんちか」への入口のある神戸交通センタービルがあるせいか、こちらはゴチャのみで済んでいます。
右に折れると三宮センイ商店街です。