※山鉾の配置マップはこちらをご覧下さい。
祇園祭山鉾マップ | 京都祇園祭 - 芦刈山 | 公益財団法人芦刈山保存会
※山鉾の説明は各山鉾保存会のHP等より引用させて頂いております。
詳細は各HPでご確認ください。
長刀鉾です。
長刀鉾 | 山鉾について | 公益財団法人祇園祭山鉾連合会 より
鉾先きに大長刀をつけているのでこの名で呼ばれる。長刀は疫病邪悪をはらうものとして、もと三条小鍛冶宗近の作が用いられていたが、現在は大永二年(1522)三条長吉作の長刀を保存し、複製品を鉾頭としている。この鉾は古来「くじとらず」といい毎年必ず巡行の先頭にたち、生稚児の乗るのも今ではこの鉾だけである。
生の祇園囃子が聞こえて来たり、小さな子どもが浴衣姿で手を引かれて歩いているのを見ると「祇園祭に来た!」と実感します。四条通を西に向かいます。
四条烏丸交差点です。人は多いですが、身動きがとれないという事はありません。行きたい方向にのろのろと歩けます。しかも風が少しあるので案外楽です。西へと進みます。
四条烏丸交差点から最初にあるのが函谷鉾です。
函谷鉾|由来とみどころ より
函谷鉾の由来とみどころ
函谷鉾は、四条通烏丸西入ル函谷鉾町の鉾で応仁の乱(一四六七~一四七七)以前に起源をもち、くじ取らずの鉾として、鉾では長刀鉾に次いで第二番目に巡行し鉾櫓、屋根の規模は大きい方である。
鉾の名は中国戦国時代(前四〇三~二二一)斉の孟嘗君(もうしょうくん)が函谷関で家来に鶏の鳴声をまねさせて関門を開かせ難を逃れたと言う故事にちなんでつけられている。
函谷鉾から西にあるのが月鉾です。
月鉾の由来
月鉾は、文献によりますと、応仁の乱以前よりあり、その昔は「かつら男ほく(ほこ)」と呼ばれていました、鉾頭に“新月”をいただき、天王座には“月読尊”を祀っていることから、その後“月鉾”と呼ばれるようになりました。
何年前だったか忘れましたが、まだお囃子の演奏時間前でしたが、月鉾の手ぬぐいを買って鉾に上がらせてもらった事が有りました。
鉾を見上げているとお囃子の様子を見たくなり、今回はバンダナを買って上がらせてもらいます。
月鉾のバンダナです。
右側に並び、ここで履物を脱いで鉾に上がります。左側は鉾から下りて出て行く通路です。写真撮影が出来るのはここまでで、2階や鉾内部は撮影禁止です。
お囃子の演奏を目の当たりにすると、鉾の中がその音色だけの世界になっているようです。鉾の中に居れる時間は短いですが、不思議な空気感が有りますので、機会があれば是非ご体験ください。
再び四条通に戻ります。
綾傘鉾は、現在の三十三基ある山鉾の中でも大変珍しい「傘鉾」の形態をとる鉾です。傘鉾は剣鉾や鎌鉾などとともに、今日の山鉾の形態が完成する以前の古い形であり、京都市北区今宮神社のやすらい花の花傘に代表されるような、いわゆる風流(ふりゆう)と呼ばれる作り物や芸能のもっとも基本的な形態を今に伝えるものだといわれています。応仁の乱以前の15世紀前半の記録にも綾傘鉾が登場することから、550年以上前から存在した古い鉾であることがわかります。
棒振り囃子の踊りと衣装が面白くて、好きな鉾です。山鉾巡行時に踊っている写真を撮っていませんので保存会のHPをご覧下さい。
綾傘鉾から綾小路通を西に行くと伯牙山です。
伯牙山 | 山鉾について | 公益財団法人祇園祭山鉾連合会 より
「琴破山」ともいわれる。山の御神体(人形)は中国の周時代、琴の名人伯牙とその友人鍾子期との物語に取材、伯牙が鍾子期の死を聞いてその琴の絃を断ったという故事をあらわしている。
伯牙山の西に芦刈山です。
「芦刈山」の趣向は世阿弥作と言われる謡曲「芦刈」に基づき、《故あって妻と離ればなれになった男が難波の浦で芦を刈る姿》を現しています。謡曲の筋書きは、この夫婦が3年ぶりに再会を果たして、和歌を詠み合い、相携えてめでたく都に戻るというものです。
こちらのお飾り宅にある御神体や懸装品などを撮影してもかまいません、という事なので撮らせて頂きました。
謡曲「芦刈」を題材にした芦刈山の御神体
老翁の姿で能衣装に水衣をはおり、懐に中啓(ちゅうけい、末広の扇子)、右手に鎌を左手に芦を1本持ち、芦原に立つ姿で、緋羅紗(ひらしゃ)をかけた山籠(やまかご)に真松を立て、梢近くに掛けた金色の三日月を背景に秋の薄暮れを表しています。御神体の旧衣装の小袖は、山鉾最古のものです。
御神体の御頭
御頭は2種類あり、天文6年(1537)七条大仏師康運作の銘がある本頭(ほんがしら)と、江戸期に作られた写頭(うつしがしら)があり、平成14年(2002)共に修理しました。以後、巡行には写頭が使われ、本頭は永久保存とし、宵山のお飾り宅だけで見学可能です。
「本頭」です。
前掛「凝視」
見送「鶴図」(右)と見送「唐子嬉遊図」(左)
胴掛「燕子花図」
写真でご紹介出来ていない懸装品等が他にもあります。宵山の期間中一般公開で観れるように準備されるのは本当に大変な事だと思います。
綾小路通の芦刈山から西へ、油小路通を南へ行くと油天神山です。
油天神山 | 山鉾について | 公益財団法人祇園祭山鉾連合会 より
古くから町内(風早町)に祀られていた天神を勧請して作られた山で、油小路綾小路下ルにあるところから、「油天神山」とも、また勧請の日がちょうど丑の日にあたっていたので「牛天神山」とも呼ばれる。
子どもたちが、歌いながら粽や手ぬぐいなどの油天神山グッズを売っています。
ここの提灯の灯りは、観て来た山鉾と比べて黄色くぼんやりした光でチロチロしています。まるでロウソクを使っているように見えるので、思わず覗き込みます。
「ロウソクなんか使ったら危ないやんか。」と配偶者。
《わかってるがな。確かめたかっただけや。(ダークサイドの私)》
油天神山から油小路通を南へ、太子山です。
太子山 | 山鉾について | 公益財団法人祇園祭山鉾連合会 より
聖徳太子を祀るのでこの名がある。聖徳太子が四天王寺建立にあたり、自ら山中に入って良材を求めたという所伝にもとづき、他の山がいずれも松を立てているのに対してこの山のみは真木に杉を立て、その樹に小さな如意輪観音像を奉戴している。
小さな子ども達も夜更かしが出来て楽しそうです。
午後9時近くです。このまま油小路通を南へ下りて適当な所で西にある堀川通へ出てバスに乗り、京都駅へ帰ります。
油小路通にやたらと「エコー」の多い不思議なタバコの自販機があります。
京都駅まで帰って来ました。午後9時過ぎです。汗をたくさんかいて少し疲れましたが腰痛にもならず、祇園祭の宵々山を十二分に堪能出来ました。
また来年も来て、他の山鉾も観たいものです。