7日(土)は穏やかな天気なので、三宮にある東遊園地まで歩いて行きます。
フラワーロードの神戸国際会館から吉本新喜劇のテーマミュージックが流れています。お正月公演かな。
国際会館の南西・神戸市役所北側に「こうべ花時計」が在ります。1957年日本最初の花時計として設置されました。
時計としてよりも、「◯◯は花時計の北にあるやん。」と、ランドマークとして使われる事が殆どです。
今は「ハボタン」が使われていますが、1月中旬に植替えが予定されています。
市役所の南が東遊園地です。1868年に居留地の外国人用の運動公園として作られたのがその始まりです。
ウォーキングやランニング、今なら日だまりを見つけて、ただ座っているだけでも気持ちが和らぎます。
公園内には、1995年1月17日5時46分、阪神淡路大震災で倒れて止まったままの時計があります。
ルミナリエの時には、この公園も会場となり、また毎年1月17日には追悼行事も行われます。
公園の南には「1・17希望の灯り」が在ります。
「住む所を・・・、仕事を・・・」何とかしようとした22年は早いものです。「一生」という言葉がありますが、震災で強制的にリセットされ「二生」を生きた気がします。
震災後すぐの頃、知人と「今回は何とかがんばろうと思うけど、又今度同じ事が起ったら、もう今度は何もせんぞ。」と話し合ったくらい、二人とも疲れていたのを思い出します。
東日本や熊本の方は本当に大変だと思います。
「慰霊と復興のモニュメント」内部は半地下になっていて自由に入れますが、千羽鶴が置かれ、また壁には震災で亡くなった方のお名前が刻まれています。
このようなオリーブの復興シンボルが震災の翌年に作られていたとは、地元に居ながら全く知りませんでした。立派に育っています。
時間が経つにつれ、震災の事もマスコミに取り上げられなくなり、また震災後の生活サイクルが確立してくると、段々自分自身の生活へと関心が向いていったのでしょう、いつからか「復興」という言葉は薄れて行き、「復興」の原因を作った「震災」という言葉も薄れて行きました。
辛い事をいつまでも「そのままの状態」で持っているのは、耐えられない事なので、当然だと思います。
ただ、錯覚かどうかは分かりませんが、横になっていて背中に揺れを感じたりした時、もの凄く不安になってしまう感覚は震災後ずっと残っています。
神戸の街を作って来たのは港で、子供の時から「港町」で「ハイカラ」というのがちょっぴり自慢だったのですが、港に段々活気が無くなって来たところへ震災で大きな痛手を受けてしまいました。
壊れたまま保存されているメリケン波止場を見ると、そのちょっぴりの自慢も無くなって寂しい思いをするのではないかと思い、意図的に見る事を避けてきました。
22年経ってどうなっているのか、京町筋からメリケンロードまで埠頭沿いに歩いてみました。
私の想い出と想い込みの「港」風景です。
メリケン波止場に着きました。
黒色の碑文の端は、時計の針の5時46分を表しています。
保存されている壊れたメリケン波止場です。
記憶の内の街灯がこれほどまで錆びているとは思いませんでしたが、22年の現実です。
今年(2017年)は、神戸開港150年にあたります。これを節目に、神戸が再び「港町」の「ハイカラ」なセンスをちょっぴり自慢できる街になればと思います。
ここメリケンパーク一帯でもリニューアル工事をしていました。陽が一杯降り注ぎ、開放感溢れるメリケンパークが、一層その魅力を増すための工事なのでしょう。
神戸開港150年の記念事業については下記HPをご参照下さい。
メリケンパークからモザイクに寄り、軽い食事をとってからお店を冷やかす事にします。
対岸の金剛山地の麓はうっすら霞んでいるのに、峰がくっきり見えています。
かつて摩耶山の掬星台からも見た事があります。
昨年の12月12日摩耶山・掬星台より撮影したものです。
カモメさん、暖かいですか。いい日が続きますように。