いも男の育て方

10日(水)・11日(木)と雨模様ですが、秋ですね。また、食べ物の話です。

Tinsley Ellis「In From The Cold」

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10日(水)、写真左は雨の諏訪山、錨山方面。

右の直線距離で約2km弱の新神戸ANAホテルが殆ど見えません。

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いも男を育てるStep 1

父の実家は農家でした。

祖母は私が物心ついた頃には、殆ど田畑に出ることはありませんでした。

家事をしたり、藁(わら)で「縄」や「筵(むしろ)」を作ったりしていました。

農作業に使う「藁草履」を小さく子供用に編んでいて、遊びに行くと渡してくれたのですが、普通の運動靴が欲しかった私にはちょっと不満でした。

今よりもう少し先の稲刈りの時期、父は会社の休みの日に実家へ手伝いに行っていたので、私はよく父にくっついて行きました。

すると祖母は、古くなった「縄」や「筵(むしろ)」、「もみ殻」などを燃やして納屋の整理を始め、サツマイモやジャガイモをその中に入れて焼いてくれました。

 

焼けるのが待ちきれず、棒切れで突きまわす私。

「さわったらアカン!まだ早い、早い!」と祖母。

 

これを何回か繰り返した後、口にする事が出来たアツアツのイモの香ばしさと、ほの甘さは、その時だけしか味わえないのものでした。

私は見事に「イモ」の虜になりました。

 

 

11日(木)、トアロードの突き当りの奥、堂徳山(約337m)より低い所まで雨雲が降りていて、時おり小雨がぱらつきます。

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いも男を育てるStep 2

母は、甘く味付けされたジャガイモだけの「イモの煮っころがし」を私に食べさせていました。

後年、牛肉が気軽に買えて「肉じゃが」の甘味と牛肉の風味を味わえるようになるまで、よく食べていました。

食糧事情が良くなってきた「肉じゃが」期と同じくして、母は牛ミンチを使った「イモコロッケ」をよく作るようになりました。

祖母によって「イモ」男の素地を作られていた私には、たまらない逸品でした。

私は見事に「イモコロッケ」の虜になりました。

 

きょう一日は雨が降ったり止んだりのようです。

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それ以来ずっと変わらずイモコロッケが好きで、イモコロッケだと極端な話どんなものでもOKです。

ただ一度だけ駄目だったのが、もう10年以上前のことですが、あるコンビニで買ったイモコロッケで、マッシュポテトを握り固めて塩もコショウもしないで、パン粉を付けて揚げただけのような代物に遭遇した時でした。

口の中がバサバサになり食べ物とは思われなくて、さすがにこれは駄目でしたが、他に駄目だった記憶はありません。

毒が仕込まれていてもきっと食べてしまうなぁ、とは配偶者のお言葉。

その通り、間違いございません。

 

 

 雨で眠いのかお米屋さんの店先で、のろのろと二匹でじゃれています。

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いも男を育てるStep 3

お酒を飲む年になると、お金が無い時は自宅飲み。

悪酔い必至の安ウイスキーのコークハイにポテトチップ。

多少懐が暖かい時は、店で子芋とイカの煮付け、鶏の唐揚げとフライドポテト、ジャーマンポテトなどイモ尽くしでご満悦でした。

今でも外で飲むとこの頃と変わりなく、イモ料理を必ず一品は頼んでいます。

私は見事に「いも男」になっていました。

 

 

その結果 

「いも男」はもちろんサツマイモも好きです。

つい最近は、繊維質も摂れると思い夜のおやつとして連夜食べていたので、

その結果完全にメタボになってしまいました。

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かかりつけのお医者さんから「食べるのを止められないなら、かなりハードに運動した方が良いよ。」と言われ、それは不可能なので夜のおやつとしての焼き芋は諦めました。

が、「いも男」を諦めるつもりは全くありません。