竹中大工道具館は木の香りがいっぱいです。その1 

6月4日(日)は、ご近所の方から「雲内(くもち)の竹中大工道具館は面白いよ、一度行ってみれば。」と勧められ出掛けます。

竹中大工道具館

新神戸駅から東へ歩いて約5分、坂になっているバス道に面しています。

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お教え頂いた方は理系のお仕事をされている方なので、恐らく建築の事も興味がおありなんでしょう。しかし私と配偶者は100%文系でしかも論理的思考は苦手の二人が、果たして大工道具や建築をどれ程理解出来るのか少し不安です。


木製の自動ドアを入ると、木材を使った舟底天井のロビーと、木の香りに圧倒されます。建物の骨格は木材ではなく鉄骨だそうです。

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ロビー左手のテラスではカヤックづくりを実演をしています。

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展示物を見ただけでは分からないので、ガイドさんの説明を聞きながら館内を巡る事にします。
地下1階へ行く時に目を引くのが、原寸の唐招提寺金堂の組物模型です。模型にもかかわらず迫力満点です。

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歴史コーナーから巡ります。
縄文時代は石斧を使って木を伐り出していましたが、弥生時代からは鉄斧を使って伐り出すようになりました。

石斧は繊維が硬くて剥がせる木には有効ですが、繊維が柔らかい木だと繊維を潰して凹ますだけで切断出来ません。しかし鉄斧は繊維を切断するので伐り出せる木の種類が増えました。

左が石斧、右が鉄斧で、それぞれの伐り口の違いが展示されています。

石斧、鉄斧が展示してあるので触ってみると、石斧が石とは思えない程硬く表面の滑らかさには驚きます。

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伐り出された木の丸太は割って材木にしていました。打割製材と呼ばれます。

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板は、厚い割板を釿(ちょうな)で厚みを落とし、ヤリガンナで削って作ります。
左がヤリガンナ、右が釿(ちょうな)です。 

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板にする為に、釿やヤリガンナで削った見本に触れます。

釿で削っただけでは明らかに荒っぽ過ぎます。

「釿斫り(ちょうなはつり) 打ち割った後、釿で大胆に削り落として材の形を整える。」写真のキャプション

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触る前はもっと表面がガタガタしていると思っていましたが、意外と滑らかです。

それにしても釿やヤリガンナを使うのは現在の私たちからすれば、ものすごく根気がいる作業に思えますが、当時はあたり前だったのでしょうね。
「ヤリガンナ削り 台鉋がなかった時代の仕上げ道具。ヤリガンナで削った面は漣(さざなみ)状の跡が残る。」写真のキャプション

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1000年以上続いた打割製材に替わって、挽割製材が普及します。
二人掛かりで大鋸(おが)を使って製材をするようになります。製材技術の大革新と言われています。これによって使いにくかった木も使えるようになりました。15世紀頃(室町時代)に普及したそうです。因にこの時に出る屑を「おがくず」と呼ぶそうです。

展示されている大鋸(おが)です。

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パネルによる解説です。

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《この作業は、息が合わんかったら言い合いになって、最後は諍いになるで。(ダークサイドの私)》

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展示されている前挽大鋸(まえびきおが)です。

《一人の作業になって良かったなぁ。諍いの種が一つ減って。(ダークサイドの私)》

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表面の滑らかさにこだわるのは、部屋の中では素足で触れるからかも知れない、とはガイドの方の見解です。

江戸時代になると多様な建築様式にあわせて大工の専門化と、大工道具の多様化が進みます。
パネルによる解説です。

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竹中大工道具館の地下2階には茶室のスケルトン模型があり自由に入れます。

モデルは江戸時代中期の名席・大徳寺玉林院蓑庵(さあん)1742年。

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解説パネルのイラストを私は結構気に入ってます。

 

江戸初期の大工心得「五意達者」の解説パネルと、天保12年(1841年)京都伏見の桃山天満宮の社殿完成時に奉納した大工道具59点が展示されています。

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明治時代になると西洋から伝わったネジの技術を用いた道具が普及します。
また廃刀令によって刀鍛冶が道具鍛冶に転向し、高い技術力を持つ名工が誕生することになります。
「ボールト錐(きり)の革新 ねじの回転機構を用いた錐の登場によって、従来の手揉み錐ではできなかった大きく深い穴をあけられるようになった。」写真のキャプション

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私が子供の頃は、大工さんが大工道具で家を建てている姿を見るのは当たり前の事でした。その時の大工道具の印象は、桃山天満宮の社殿完成時(1841年)に奉納した大工道具59点とほとんど変わらない印象です。

ほんの少し前までは、建築は手間と根気がいる仕事だったのですねぇ。

 

竹中大工道具館では他のコーナーも巡っていますので、「竹中大工道具館は木の香りがいっぱいです。その2」に続きます。